旧制第四高等学校

校章 所在地 石川県金沢市
設置 明治20年
後身 金沢大学法文学部・理学部
現在 県立いしかわ四高記念公園石川四高記念文化交流館・広坂合同庁舎(地図

現況


現在の石川四高記念文化交流館正門と背後の旧本館。明治20年に金沢に第四高等中学校が設置され、明治27年の高等学校令公布に伴い第四高等学校と改称された。旧制四高後身の新制金沢大学法文学部は戦後に金沢城内に設置され、一方理学部は暫くこの地に在ったが、昭和39年に金沢城内に統合移転した。跡地は整備され昭和43年に県立中央公園が開園し、平成26年にいしかわ四高記念公園と改称された。なおこの正門柱は四高当時の遺構。



現在のいしかわ四高記念公園案内図。図には示されていないが、この北側(写真上)に金沢広坂合同庁舎が位置している。

第四高等中学校


由来板に「この建物は明治22年6月現在地に起工、24年7月に完成した旧第四高等中学校本館である。設計は、当時文部技師であった山口半六、久留正道が行った」とある。昭和44年に国の重要文化財に指定された。金大理学部の移転後は金沢地裁が入居し、昭和43年に県立郷土資料館、昭和61年に石川近代文学館、平成20年に石川四高記念文化交流館となった。



正門脇の守衛所。由来板に「四高本館が落成した明治26年に、同時に建てられたものとわかる。(中略)さらに、昭和42年、四高本館を郷土資料館として活用するにあたって、現在地に再移動された」とある。

植樹記念碑


明治22年の有栖川宮熾仁親王の来校を記念して明治29年に植樹された桜と、村上長之助(珍休)漢文学教授撰による記念碑。元々は校庭の一隅に植えられたが、昭和38年に現在地に移植された。

溝淵校長像


大正13年に建てられた溝淵進馬第7代校長像。建立時の胸像は昭和19年に戦時供出され、昭和34年に再制作された。側面の再鋳由来文に「往時先生の薫陶を享けし者 茲に相集まり再び先生の尊容を仰ぎ 徳風を追慕せんとす」とある。

雄魂碑


昭和16年に四高漕艇部員等11名が琵琶湖での練習中に殉難し、昭和17年に雄魂碑が建てられた。昭和43年に追設された由来銘板に「昭和二十五年 母校はその絢爛たる六十余年の歴史を閉じ 四健児の影も今や已に莫く 碑の由緒を説く者もまた年と共に甚だ稀となった 我ら艇友はこれらの時運に鑑み(中略)此に建碑の由来を銅鈑に刻し これを後代に瞭らかにせんとするものである」と記されている。

四高生記念像


昭和33年に建てられた、明治・大正・昭和3代の四高生を表した記念像。右側面に代表寮歌「南下軍の歌」(明治40年制作)の一節が刻まれ、背面の由来文に「集まり散じた同窓同学の士一万二千余 相率いて『至誠自治』の精神を培い『超然時習』の学風を起し 業成りて後は明治大正昭和三代に亘りよく祖国の興隆と文化の進運に寄與した」とある。

寮歌碑


創立85周年を記念して昭和46年に建てられた、代表寮歌「北の都」(大正4年制作)の記念歌碑。背面の由来文に「われらが青春ここにとどまり 宝石のごとく輝く」とある。

校庭趾碑


創立90周年を記念して昭和51年に設置された、「四校庭趾」と刻まれた記念碑。

運動場阯碑


創立95周年を記念して昭和56年に建てられた記念碑。「舊制第四等學校 運動場阯」と刻まれている。

時計塔


創立100周年を記念して昭和61年に旧敷地の南西隅に建てられた時計塔。

流星碑


昭和61年に建てられた、井上靖氏作「流星」の記念碑。「高等学校の学生の頃、日本海の砂丘の上で、ひとりマントに身を包み、仰向けに横たわって、星の流れるのを見たことがある」と刻まれ、背面の由来文に「半世紀前の、詩神誕生の神話。その学生の名は、井上靖。同窓有志、相図り、縁りのこの地に永くその名を留める」とある。

時習寮跡


寄宿舎跡推定地。明治26年に論語の「学而時習之。不亦説乎」に由来して村上教授により時習寮と命名された。明治39年の南寮火災を契機に「超然主義」が興り、以後四高の校風となった。明治41年の「超然趣意書」に「之ヲ精神的ニ観察センカ一寮ノ焼失ハ余輩ガ永劫活動的源泉タル超然主義ヲ胚胎セリ」とある。

北条先生頌徳碑


昭和5年に金沢神社境内に建てられた北条時敬第5代校長頌徳碑。撰文は四高でも教鞭を執った漢文学者の黒本稼堂氏による。由来板に「北条時敬は金沢が生んだ偉大な教育家で第四高等学校・広島高師・東北大学・学習院の長を歴任し宮中顧問官・貴族院議員となり正三位に叙された」とある。

旧物理化学教室


明治23年に山口半六・久留正道両文部技官の設計により建てられた旧四高物理化学教室。昭和40年に愛知県犬山市の博物館明治村に移築され、平成15年に文化庁の有形文化財建造物として登録された。

無声堂


大正6年に建てられた旧四高武術道場・無声堂。柔剣道場に弓道場が併設されている。昭和45年に愛知県犬山市の博物館明治村に移築された。



平成16年に文化庁の有形文化財建造物として登録された。

四高桜


昭和17年に滋賀県大溝町(現高島市)の琵琶湖岸に建てられた四高桜記念碑。背面の由来文に「四漕艇の同志は 彼等の最後まで敢闘精神を発揮せるを偲び 母校生徒並びに大溝町民の協力に依り此處に桜樹千本を植ゑ 追憶歌の一節を録して永く記念する」と刻まれている。



四高桜公園の由来板に「四十四年後の昭和六十年、病気で枯れた木も出てきたので、新たに結成された『琵琶湖四高桜保存会』の手でヤマザクラが植えられました。その後、県道拡張工事のためにこれらの桜を現在地に移植し『四高桜公園』と命名しました」とある。

四高医学部


宝暦大火(1759年)後に再建された旧津田玄蕃邸。元々は金沢城大手門前にあり、明治3年に金沢医学館、明治20年に第四高等中学校医学部の校舎となった。四高医学部は明治34年に分離独立して金沢医専となり、大正12年に旧制金沢医大に昇格した。津田邸は大正12年に兼六園内に移設され、現在は金沢城・兼六園管理事務所分室として使用されている。

おまけ


平成3年に金沢市により設置された「旧仙石町」碑。由来文に「千石町とも書いた 藩政初期からの町名であるが その由来は明らかでない」とある。四高校地は仙石原頭と呼ばれた。応援歌「嗚呼伝統の花も濃き」(昭和2年制作)に「仙石原頭星月夜 陣鼓はためき火を吐きて」と謳われ、代表寮歌「砂丘の仮寝」(昭和14年制作)には「大地の息吹訪いて アカシヤ白き仙陵に」と謳われている。



平成元年に市内角間地区に建てられた金大附属中央図書館。吹き抜けの天井に四高校章の北辰が描かれている。



金沢神社の隣接地にある金城霊沢。伝説によると芋堀藤五郎がこの泉で砂金を洗った事から「金洗沢(かなあらいのさわ)」と呼ばれるようになり、金沢の地名の語源になったという。


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