旧制府立高等学校
校章
所在地
東京都千代田区・目黒区
設置
昭和4年
後身
東京都立大学
人文学部・理学部・附属高校
現在
都立日比谷高校(
地図
)・
めぐろ区民キャンパス
・都立桜修館(
地図
)
現況(日比谷高)
国会議事堂や首相官邸の傍にある都立日比谷高校(旧制東京府立第一中学校)正門。旧制府立高等学校は昭和4年に府立一中の敷地内に設置された。これは元々府立一中が自校と接続する高校を独自に計画したものだったが、周辺の中学の反対に遭い、東京府立7年制高校(尋常科4年+高等科3年)として新規に設置される事となった。そのような経緯から府高の初代校長は川田正澂府立一中校長が兼任し、また校章は両校とも桜に旭日となった。但し府立一中は旭日の内側に桜、府高は桜の内側に旭日と、逆に図案化されている。
現況(めぐろ区民キャンパス)
府高は昭和7年に当地に移転し、昭和18年に東京都制の施行により都立高等学校と改称された。戦後の学制改革に伴い旧制高等科は新制東京都立大学となって暫くこの地に在ったが、平成3年に八王子新キャンパスに統合移転した。跡地は再開発され、めぐろ区民キャンパスという複合文教施設や都営住宅が建てられている。なお施設の中核であるパーシモンホールの命名は柿の木坂という地名に由来する(persimmonは柿の英名)。
現在の区民キャンパス案内図。北側(写真上)が文教施設で西南側(写真左下)が都営住宅。図には示されていないが、この西側(写真左)が都立桜修館の敷地となっている。
旧正門
区民キャンパス北縁に府高正門柱の片方と壁の一部が当時の位置のまま記念として残されている。
由来板の拡大写真。
燦燦碑
平成14年に府高と都立大の同窓会により旧正門の奥に設置された、「燦燦」と題された記念モニュメント。
由来板に「1999年に府立高等学校は創立70周年を、東京都立大学は創立50周年を迎えた。これを記念して、両校発祥の地が未来永劫に燦燦と輝くことを希いこれを建立する」と記されている。
現況(桜修館中等教育学校)
戦後の学制改革に伴い旧制尋常科は新制都立大附属高校となり、平成18年より6年制の中高一貫教育校に改組された。
同校西南側の外塀。内側の武蔵野の面影を残す樹木と共に旧制時代以来のもの。
川田校長像
昭和11年に建てられ、現在は都立大南大沢構内に移設されている川田初代校長胸像。由来銘板に「本学の前身である六つの高校、専門学校のうち最古の府立高等学校校長となり、規律を重んじるとともに生徒を信頼し、その自発性、自由な行動を尊重、自治、自主の精神の開花に尽力」とある。
おまけ
府高西南にある氷川神社。祭神の素盞鳴尊の和歌「八雲たつ」に因み、付近の地名が八雲となった。校歌「嗚呼西山の雲はれて」(昭和10年制作)に「この学舎をしたい来て 八雲ヶ丘に集いけり」と謳われ、記念祭歌「見よやローマの」(昭和13年制作)には「文武智徳の笛鳴りて 健兒が集う八雲岡」と謳われている。また府高と都立大の同窓会は八雲会と称している。
最寄駅の東急東横線都立大学駅。昭和2年の開通時の名称は柿の木坂駅で、府高の移転に伴い昭和6年に府立高等前駅と改称され、昭和7年に府立高等駅、昭和18年に都立高校駅、昭和27年に都立大学駅と順次改称されて現在に至る。東急総帥だった五島慶太氏が沿線開発の一環として大正末期以降次々に高等教育機関を誘致したという。東隣の学芸大学駅もその1つで、前身は旧制東京第一師範学校。なお現在両駅とも大学そのものは移転しており、駅名を改称すべきか賛否が分かれている。
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