旧制松江高等学校

校章 所在地 島根県松江市
設置 大正9年
後身 島根大学文理学部
現在 島根大学松江キャンパス地図

現況


現在の島根大学松江キャンパス正門。旧制松江高等学校の正門よりやや東寄りに設置されている。校章は全国で17番目の設立に因み、17本の松の若葉を山陰の雪の結晶の六角形に象ったもの。淞高の代名詞として真山の南麓に由来する「真陵」や「菅田ヶ丘」が用いられた。代表寮歌「笛の音うるむ」(昭和3年制作)に「雄図の夢や真陵に 残んの月を仰ぐとき」と謳われ、代表寮歌「あわれ朧朧」(昭和17年制作)には「菅田ヶ丘や松柏の 下現世を嘆じては」と謳われている。



島大正門柱は大正13年に淞高正門として建てられたもので、昭和45年に現在地に移設された。平成19年に文化庁の有形文化財建造物として登録され、由来文に「重量感のある白御影石で造られ、方形の幾何学模様を基調とした彫刻が施されている」と記されている。



現在の松江キャンパス案内図。淞高正門はかつて南西隅(図の左下側)に位置していた。

記念歌碑


昭和36年に建てられた、代表寮歌「青春の歌」(大正10年制作)の記念歌碑。「目もはろばろと桃色の」に始まる1番の歌詞が刻まれており、背面の由来文に「旧制松江等学校創立四十周年記念 旧制松江等学校同窓會建之」とある。

淞高記念碑


創立80周年を記念して平成12年に建てられた淞高址碑。背面の由来文に「松江高等学校は 大正九年 ここ嵩山西麓の地に設立され 学制改革により 昭和二十五年廃止された その間五千有余の若人がここに学んだ」とある。

寄宿舎記念碑


創立85周年を記念して平成17年に建てられた自習寮址碑。側面に「降る雪や 寮は試験の 灯をつらね」の句が刻まれ、背面の由来文に「島根大学発足の母体となった、官立松江高等学校の寄宿舎 自習寮が、大正十一年から昭和二十五年までこの場所にあった」と記されている。

記念植樹


卒業50周年を記念して昭和53年に5期生有志により建てられた欅の植樹記念碑。由来文に「弊衣破帽秘野望 真陵三春二百友 白頭痩身百余人 光陰如夢五十霜 佇立丘上感無限 長傳三欅往時想」とある。



卒業50周年を記念して昭和57年に淞高九期会により建てられた高野槇の植樹記念碑。



平成12年に淞高同窓会により植えられた楷の木。由来碑に「母校創立八十周年記念として 自習寮食堂跡に植える」とある。

薬師山古墳


大正11年の自習寮拡張工事の際、淞高生により構内に薬師山古墳が発見され、武田雄三教授・青山公亮教授・大本琢寿教授と文科生の手で発掘調査が行なわれた。須恵器等の出土品は現在島大古代出雲文化資料調査室に収蔵されている。

外国人教師宿舎


大正13年に市内奥谷地区に建てられた淞高外国人教師宿舎1号棟。新制移行後は島大教官宿舎として使用され、現在は島大サテライトミュージアム等に利用されている。平成19年に文化庁の有形文化財建造物として登録された。

淞高の庭
 

平成7年に宍道湖畔の白潟公園内に設けられた「淞高の庭」。記念碑に「笛の音うるむ」の1番の歌詞が刻まれ、背面の由来文に「このような史実をふりかえり当時の高校生が弊衣破帽をまとい寮歌を高唱しながら逍遥したこの場所に記念の庭を造成しました」とある。頂部には白線帽が載せられ、側面には高ゲタ黒マントの淞高生像のレリーフが嵌められている。



平成17年に「淞高の庭」に設置された杉山平一氏の記念詩碑。背面の由来文に「杉山平一は大正三年に生れ 昭和九年に旧制松江高等学校を卒業 (中略)今度母校八十五周年に当り 同窓有志相図り 氏の処女詩集『夜学生』の中から一篇の散文詩を撰び われらが青春の三年間を過した母校と この地によせる限りない愛情と感謝をこめて 茲に詩碑を建てる」と記されている。

おまけ


春龍玄済禅師を開山とする堀尾家菩提寺の鏡湖山円成寺。関ヶ原合戦後の当地の開府に際して、水郷の地相と鱸や蓴菜を名産とする点が中国の淞江府に似ているので、春龍和尚が領主堀尾吉晴公に松江の命名を進言したという。



慶長16年(1611年)に建てられ、昭和10年に国の重要文化財、平成27年に国宝に指定された松江城天守閣より東方を望む。和久羅山(右・頭)と嵩山(左・胸)が少女の寝姿に見立てられる事から、淞高生に「メッチェン山」と呼ばれ親しまれた。


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