旧制松本高等学校
現況
現在の市立あがたの森公園正門。旧制松本高等学校後身の新制信州大学文理学部は暫くこの地に在ったが、昭和48年に市内旭地区に統合移転し、跡地は整備され昭和57年にあがたの森公園が開園した。第九高等学校としての設置を目指した経緯から、松高校章には9本の放射状の線が描かれている。なおこの正門柱は松高当時の遺構で、向かって右の門柱に「松本等學校跡地」と記されている。
現在のあがたの森公園案内図。
旧校舎
大正9年に建てられた旧本館。平成19年に国の重要文化財に指定された。
旧本館は昭和54年に松本市あがたの森文化会館として新装開館し、図書館と公民館が併設された。正面玄関横に「松本等學校」「信州大學文理學部」の旧表札が掲げられている。
大正11年に建てられた旧講堂。平成19年に国の重要文化財に指定された。現在はあがたの森文化会館の一部として使用されている。
旧門柱
本館中庭に移設された旧門柱。由来板に「旧制松本高等学校には大正八年開校以来、出入口の門は5個所ありましたが、戦後の学制改革により正門を除き解体撤去され講堂北側に野積みされていました。校舎保存整備委員会の復元したらという意見を基に、ここ中庭の出入口に設置しました」とある。
ヒマラヤ杉
植物学者の大渡忠太郎第2代校長時代に植樹されたヒマラヤ杉の並木道。構内に59本が現存している。
記念碑
創立50周年を記念して昭和43年に建てられた松高跡碑。「われらの青春ここにありき」と刻まれ、背面の由来文に「松本高等学校は大正八年創設され 学制改革により昭和二十五年廃止された」とある。
昭和58年に設置された創立65周年記念碑。
思誠寮跡
創立70周年を記念して昭和63年に設置された思誠寮跡銘板。寮名は孟子の「誠者天之道也。思誠者人之道也」に由来し、昭和58年に解体された。なお現在の信大思誠寮は市内横田地区に位置している。
時計塔
創立70周年を記念して昭和63年に設置された時計塔。
おまけ
平成元年に構内に設置された県宮社跡碑。「此の地は県宮社の鎮座せる神域の地であったが大正七年松本高等学校新設に伴い南方県塚(県三丁目)に遷座せり」とある。県神社に由来する「県ヶ丘(縣ヶ丘)」は松高の代名詞として用いられた。
信大創立50周年を記念して平成11年に設置された文理学部跡銘板。「戦後の学制改革により一九四九年文理学部は旧制松本高等学校を母体としてこの地に誕生しました」とある。
昭和56年に旧本館内に開設された松高記念館を前身として平成5年に新設された旧制高等学校記念館。全国の旧制高校に関連する資料を収集・展示している。
文禄3年(1594年)頃に建てられ、昭和11年に国宝に指定された松本城天守閣より北アルプスを望む。代表寮歌「血は燃えさかる」(大正10年制作)に「雲にうそぶく槍穂高 天馬の姿勇ましき」「あゝ信州よ山の国 誇は高しアルペンの」と謳われ、「松高小曲」(昭和2年制作)には「東や鉢伏 西や常念の朝日夕日に はえる松高のやさすがた」と謳われている。
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