旧制武蔵高等学校

校章 所在地 東京都練馬区
設置 大正11年
後身 武蔵大学経済学部・武蔵高校・武蔵中学校
現在 武蔵大学江古田キャンパス(地図

現況


現在の武蔵大学正門。実業家の根津嘉一郎氏によって私立7年制(尋常科4年+高等科3年)の旧制武蔵高等学校が設立された。当初は東京高等学校の名称で申請したが、官立で同名の高校を設置する計画があったので譲り、代案として武蔵の名を冠したという。校章には続日本紀の「神護景雲二年武蔵国献白雉」に由来する白雉が図案化されている。旧制武高は戦後の学制改革に伴い昭和23年に新制武蔵高となり、次いで翌年に新制武蔵中と新制武蔵大が開設されて現在に至る。

旧本館


大正12年に武高本校舎として建てられ、現在は大学3号館として使用されている。

大講堂


昭和3年に佐藤功一早稲田大学建築科教授の設計により建てられた大講堂。平成28年に大学3号館と大講堂は練馬区の登録文化財に選定された。

根津化学研究所


根津嘉一郎翁の喜寿祝賀行事の一環として昭和11年に建てられた根津化学研究所。現在は主に武蔵大総合研究所の施設として使用されている。

大欅


大学3号館中庭の大欅。幹周り4mに達する巨木で、開校以来武蔵のシンボルとして親しまれている。校歌「武蔵賛歌」(昭和2年制作)に「庭面にそそる大欅 千代の髪振りかたりけり」と謳われている。



平成6年に「ねりまの名木100選」に指定された。「トネリコは区内では珍しくしかも大きいことから、ケヤキは区内有数の大きさで枝ぶりも見事なことから、イヌザクラは区内では珍しいことから指定されました。3種類の樹木が一体となって生育している様子も珍しいものです」とある。

濯川


構内を流れる濯川(すすぎがわ)と十年橋。元は江戸時代の千川上水の分流で、中国の楚辞に記されている屈原の「漁夫」の故事に因んで昭和3年に濯川と命名された。当時の山本良吉教頭が英国ケンブリッジ大学内を流れるケム川に擬して優れた人材の育成を願ったという。



山本教頭の揮毫による十年橋由来碑。昭和7年に創立10周年を記念して濯川の7橋に名が付けられ、各橋のたもとに橋名碑が建てられた。



昭和7年に大欅に因んで命名された欅橋と、加藤虎之亮漢文学教授の揮毫による橋名碑。



昭和10年に根津嘉一郎翁の喜寿を祝して濯川内に喜寿島が設けられ、中の島と喜寿島の間にこの泉橋が架けられた。橋名碑は内田泉之助漢文学教授の揮毫による。なおこの泉橋碑は長らく所在が不明であったが、近年池中より発見されて旧地に復された。

北極標石


昭和3年に北極星の方向を示す北極標石が構内の3ヶ所に設置され、その1つは欅橋のたもとにある。「DEC W5゜5 1928」と刻まれており、DECは天球座標の赤緯(declination)を表す。



大学3号館前にある北極標石。

水準標石


昭和5年に武高構内に設置された水準標石。



水準標の由来板。計測時の海抜・東経・北緯と共に「科学部気象観測所部員卒業生協力の下に、陸地測量部が行った正式実測による」と記されている。

積翠園記念標石


昭和7年に武高尋常科慎独寮の開寮10周年を記念して庭園が開かれ、積翠園と命名され記念標石が設置された。なお積翠園は昭和20年の空襲により失われている。

錬心館跡碑


昭和52年に武高剣道場・錬心館跡に建てられた記念碑。「昭和二年六月創建 昭和二十年四月十三日戦火消失 武剣道部五十周年記念」とある。

おまけ


最寄駅の西武池袋線江古田駅。武高開校に伴い大正11年に武蔵野鉄道武蔵高等学校用仮停留所として現在地より西寄りの武蔵野稲荷神社付近に設置された。当初は朝と夕の通学時間帯のみ停車したらしい。翌年に駅舎は東に移転し、武蔵野鉄道江古田駅として本営業を開始した。昭和21年に会社の合併により西武鉄道江古田駅となり現在に至る。


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