旧制大阪高等学校

校章 所在地 大阪府大阪市
設置 大正10年
後身 大阪大学教養部南校
現在 UR都市機構阪南団地(地図

現況


現在の阪南団地。旧制大阪高等学校後身の新制大阪大学教養部南校は暫くこの地に在ったが、昭和35年に北校(旧制浪速高後身)に統合され、昭和37年に跡地に公団住宅が建設された。校章は月桂樹(ローレル)を図案化したもので、代表寮歌「嗚呼黎明は近づけり」(大正12年制作)に「紫匂うローレルの 葉蔭に宿りし美鳥が」と謳われている。大高の特色として理科丙類(仏語選択)の設置が挙げられ、官立高校で他に理丙を有していたのは旧制東京高のみだった。

大高記念碑


創立70周年を記念して平成4年に設置された大高跡碑。側面の由来文に「大阪高等学校は 一九二二年から一九五〇年にいたるまで この地に在り 五千余名の卒業生を送り出した この構内に立つ『青春の像』は その大高生の風姿を伝えるものである」と記されている。

大高の森


昭和47年に阪大豊中キャンパス構内に設置された「大高の森」の北側入口。



「大高の森」内の記念アーチ。上部中央に大高校章と白線二条が嵌め込まれている。



「大高の森」由来碑。「この地域内は、旧制大阪等学校同窓会が、創立50周年記念事業の一環として、この地区で研究・勉学に精進する教職員・学生に、いこいの木蔭・散策の小径を、という目的で造園され、昭和47年11月8日に寄贈されたものである。(中略)森の台に位置するパーゴラを囲んで、同校の校章にちなんだゲツケイ樹を配し多くの樹木がある」と記されている。



平成4年に設置された「嗚呼黎明は近づけり」の記念歌碑。背面の由来文に「この『大高の森』は 一九七二年に本会から寄贈されたものであるが 学校創立七十周年を迎えるにさいして 全般にわたり改修を加えるとともに 記念碑を建造して われらが愛唱した全寮歌を刻み銘とした」とある。大高寄宿舎は図南寮と命名された。

青春の像


創立40周年を記念して昭和37年に大高跡地に建てられた、高ゲタ黒マントの大高生青春の像。平成21年に「大高の森」に移設された。



「五千百五十の 若人がうたった」の文字と、「嗚呼黎明は近づけり」の歌詞と音階が刻まれた石が記念像の周囲に設置されている。平成21年に大高跡地から「大高の森」に移設された。

案内碑


平成22年に「大高の森」南側入口に設置された案内碑。「旧制大阪等學校 1921〜1950 大の森 右前 青春の像 右奥 記念碑」と刻まれている。

黎明館


大正12年に建てられた旧大高生徒集会所・黎明館。昭和35年に奈良県天理市の天理大学構内に移設された。

植樹記念碑


大阪城西ノ丸庭園に設置された植樹記念碑。「櫻樹 旧制大阪等學校創立六十年記念 1981年11月 大高同窓會植樹」と刻まれている。

おまけ


大高から徒歩圏内にある帝塚山古墳。古墳時代中期(4世紀末〜5世紀初頭)の築造とされ、被葬者は不明だが大伴金村との説がある。大高の開校当時は周囲は畑や草地で遮る物が無く、帝塚山古墳まで広く見渡せたという。「嗚呼黎明は近づけり」に「起てよ我が友自由の子 帝陵山下の熱血児」と謳われている。


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