旧制台北帝国大学予科
校章 |
所在地 |
台北市士林区 |
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設置 |
昭和16年 |
後身 |
廃校 |
現在 |
国防部軍事情報局 |
現況
芝山巌神社跡より旧制台北帝国大学予科跡を望む。予科は台大構内の仮校舎にて開校し、昭和17年に当時の住所表記で台北州七星郡士林街石角の新校舎に移転した。昭和20年3月に校舎は日本海軍に徴用され工廠となった。戦後は中華民国軍に接収され、現在は軍事情報局(通称芝山荘)となり立入や撮影は禁止されている。校章は胡蝶蘭を図案化したもので、同窓会は蘭香会と称している。「創業歌」(昭和16年制作)に「七星が嶺の霊をうけ 永久に薫らんこの蘭花」、「応援歌」(昭和17年制作)に「彼蕉葉の光栄あらば 我に蘭花の誇あり」と各々謳われている。
現在の芝山公園入口。この石段は昭和5年に六氏先生を祀って建立された芝山巌神社の参道で、戦後は廃祀され本殿跡に雨農閲覧室が建てられた。台大予科は芝山巌東麓に設置され、予科生によりしばしば奉納ストームが乱舞された。
士林駅
現在の台北捷運(MRT)淡水線士林駅。明治34年に台湾総督府鉄道淡水線士林駅が開業し、往時の台大予科生に最寄駅として利用された。昭和63年に廃線となり、平成9年に旧路線を継承したMRT士林駅が開業した。
現在の士林駅周辺図。図には示されていないが、芝山巌は士林駅の北東(図の右下側)に位置している。予科校地は士林原頭と呼ばれ、創業歌巻頭言に「草繁き士林原頭に 砦せし星雲の友よ幾百」と謳われている。
予科仮校舎
昭和6年に建てられた旧台北帝大正門。現在は国立台湾大学正門として使用されている。
現在の台湾大案内図。台北帝大は昭和3年に当時の台北市富田町に設置された。
現在の椰林大道。台北帝大時代は大王椰子の並木道と呼ばれた。
台北帝大予科仮校舎跡推定地に建つ普通教学館。仮校舎は昭和16年に文政学部と銃器庫の間に建てられ、戦後の復員期にも再び使用された。
台北帝大文政学部
昭和4年に建てられた旧台北帝大文政学部本館。現在は台湾大文学院本館として使用されている。
昭和5年に建てられた旧台北帝大附属図書館。台湾大総図書館を経て平成17年より台湾大校史館として使用されている。
台北帝大理農学部
現在の台湾大行政大楼。大正8年に旧台北高等農林学校総弁公室として建てられた。昭和3年の台北帝大理農学部設置に伴い台北高農は台北帝大附属農林専門部として統合され、この建物は理農学部総弁公室となった。
昭和4年に建てられた旧台北帝大理農学部1号館。現在は台湾大文学院1号館として使用されている。
昭和4年に建てられた旧台北帝大理農学部2号館。現在は台湾大理学院2号館として使用されている。
台北帝大医学部
現在の台湾大医学院2号館。明治40年に旧台湾総督府医学校として建てられ、大正8年に台湾総督府医学専門学校、昭和2年に台北医学専門学校と改称後、昭和11年の台北帝大医学部設置に伴い台北帝大附属医学専門部として統合された。医学部と医専は当時の台北市東門町に併置され、この建物は講堂及び生化学・医化学教室に用いられた。
大正13年に当時の台北市明石町に建てられた旧台湾総督府台北医院。町名は明石元二郎第7代台湾総督に由来する。設計者は近藤十郎氏(台湾総督府土木局)。昭和13年に台北帝大医学部附属病院に移管され、現在は台湾大医学院附属医院旧館として使用されている。
おまけ
大正8年に建てられた旧台湾総督府庁舎。現在は総統府として使用されている。台北帝大は総督府所管として設置され、「台北帝国大学ニ関スル件」(昭和3年勅令第30号)に「台北帝国大学ニ関シテハ帝国大学令ニ依ル但シ同令中文部大臣ノ職務ハ台湾総督之ヲ行フ」とあり、「台北帝国大学官制」(昭和3年勅令第31号)に「総長ハ台湾総督ノ監督ヲ承ケ台北帝国大学一般ノ事ヲ掌リ所属職員ヲ統督ス」とある。
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