旧制山形高等学校
現況
現在の山形大学小白川キャンパス正門。旧制山形高等学校の正門も同じ位置に在った。三輪田輪三初代校長より学寮に「地霊人傑」の扁額が与えられ、寮生訓として用いられた。校章は鳥海山に群生するチョウカイフスマの葉と蕾を図案化したもので、代表寮歌「夜光の杯」(大正11年制作)に「純と真とを象徴の 鳥海フスマの旗の下」と謳われている。
現在の小白川キャンパス案内図。
行啓記念碑
大正14年に建てられた皇太子殿下(後の昭和天皇)行啓記念碑。側面に「野槙二本」と刻まれている。
三輪田記念館
昭和4年に建てられた旧三輪田記念館。現在は学生ホールとして使用されている。大正15年の三輪田校長退任に際し胸像建立が計画されたが、先生は辞退され、その醵金を以って生徒の為の施設を建てる事を望まれたという。
書庫遺構
大正13年頃に建てられ、平成6年に解体された旧山高書庫の赤煉瓦の一部。山大附属中央図書館前に記念として残されている。
山高記念苑
創立40周年を記念して昭和35年に建てられた山高記念碑。旧寮敷地の一角に設けられた山高記念苑の中央に位置している。
創立50周年を記念して昭和45年に建てられた、代表寮歌「寮に別るる日に」(大正11年制作)の記念歌碑。「ひかり北地に燃え出でて」に始まる歌詞が刻まれている。
同じく創立50周年を記念して昭和45年に建てられた「鳥海ふすまの碑」。山高校章と代表寮歌「嗚呼乾坤」(大正12年制作)の歌詞が刻まれている。
平成7年に設置された記念苑の由来板。「我が山形等学校は大正九年十月此所小白川に開校された (中略)秀麗な山河豊かな四季の移ろいに恵まれて青春を結晶した珠玉のような寮歌が数多く残された この碑に刻まれた二つは最も愛唱されたものである 永遠に歌い継がれることを祈って止まない」とある。
記念苑の四隅に配された、旧正門柱上部の「かしら石」。
植樹記念碑
記念苑の一角に移設された植樹記念碑。「落成紀念 大正十三年五月十七日 椴松二本」と刻まれている。
同窓会記念碑
創立100周年を記念して令和2年に建てられた「ふすま同窓会百年の碑」。昭和28年に山高同窓会と山大文理学部同窓会が合併し、旧制・新制合同の「ふすま同窓会」が発足した。
令和2年に建てられた「百年記念樹白樺」碑。
講師陣記念碑
ティーデマン先生は大正10年より10年間ドイツ語を教授し、昭和33年に山寺の名で知られる立石寺境内に記念碑が建てられた。由来銘板に「帰国後はミュンヘンの自宅に在って常に山形の地をおもい、白樺の種子を送りとどけて、山寺の片隅にささやかな記念の石を置き、かたわらにその白樺を植えることを希望した」とある。
昭和55年に市内五日町地区の静松寺に建てられた、平沢東貫漢文学教授の記念碑。「愛日保春長寿山」と刻まれている。
平成12年に山形県村山市の葉山中腹に建てられた、森瑞樹歴史学教授の頌徳碑。「噫森瑞樹先生 光顔巍巍」と刻まれている。
同窓会館
平成4年に山大正門近傍に建てられたふすま同窓会館。会章として山高校章を継承している。
おまけ
明治34年に建てられた旧制山形師範学校本館。昭和48年に国の重要文化財に指定された。新制山大教育学部を経て昭和55年より県立博物館分館・教育資料館として一般公開されており、館内に山高本館の模型が展示されている。
馬見ヶ崎川の河畔より盃山を望む。元々は小白川と呼ばれていたが、鳥居忠政初代山形藩主が自ら馬上に立って盃山から治水工事を采配した故事に因み、馬見ヶ崎川に名が改められたという。「嗚呼乾坤」の一節に「夕の火雲仰ぎつつ 駿馬を立つる馬見ヶ崎」と謳われている。
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