旧制第一高等学校駒場校舎


現況


現在の東京大学駒場キャンパス(教養学部)正門と背後の本館。昭和13年に建てられた旧制第一高等学校の正門がそのまま使用されている。門扉に象られている一高校章は柏葉(軍神マルスの武)と橄欖(女神アテナの文)の3葉6実を図案化したもの。



現在の駒場キャンパス案内図。一高は昭和10年に東京帝大農学部と敷地交換して当地に移転した。

本館


昭和8年に建てられた、駒場キャンパスの象徴である一高本館時計台。現在は1号館と呼称されている。東大本郷キャンパスの安田講堂と同様に内田祥三東京帝大建築科教授の設計による。



平成12年に文化庁の有形文化財建造物として登録された。



本館真裏に掲げられている「國」入りの校章。由来銘板に「このアーケードの上壁面にある紋章は、旧制第一高等学校の校旗であった『護國旗』のレリーフである。『護國旗』は金糸に輝く柏葉と橄欖の徽章の中央に『國』の字を配し、二条の白線をもつ真紅の旗である。明治22年2月5日、校旗として制定された」とある。

旧書庫


内田教授の設計により昭和10年に一高書庫・閲覧室として建てられ、現在は駒場博物館として使用されている。

 

昭和46年に美術博物館が、平成15年に自然科学博物館が各々移転してきた。両者を併せて駒場博物館と通称されており、一高が蒐集した美術品や標本資料も収蔵されている。定期的に展覧会が開催されており、学内外者問わず無料で入場できる。

旧講堂


内田教授の設計により昭和13年に一高講堂として建てられ、現在は900番教室として使用されている。正門を挟んで駒場博物館と対を為す位置にあり、外観もほぼ同じ。内部は600人収容の大講堂で、別名900番講堂とも呼ばれる。

旧特設科


内田教授の設計により昭和10年に建てられ、留学生用の特設高等科校舎として用いられた。現在は101号館と呼称されている。



蓋板に「一下水」と刻まれている101号館前のマンホール。

旧同窓会館


昭和13年に建てられた一高同窓会館。平成16年に洋館部分は保存されてレストラン「ルヴェソンヴェール駒場」に改装され、和館部分は取り壊されて跡地に駒場ファカルティハウス(国際学術交流会館)が新築された。

三昧堂


昭和15年に皇居から一高構内に移築され、三昧堂と命名された禅堂。

植樹記念碑


本館正面左脇に植えられた松の木と記念碑。「春宮慶禮紀念之松 明治三十三年五月十日 第一等學校生徒等植之」と刻まれている。向ヶ丘より移植されたものか詳細不明。



本館正面右脇に植えられた橄欖の木と記念碑。元々は齋藤阿具西洋史学教授が独蘭留学より持ち帰って向ヶ丘に植えたもので、一高の駒場移転に際して現在地に移植された。記念碑表面の「橄欖」と背面の「昭和八年 教授齋藤阿具寄贈」の文字は本人の自筆による。

寮歌碑


昭和31年に建てられた、代表寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」(明治35年制作)の記念歌碑。背面の由来文に「明治卅五年矢野勘治君作詞楠正一君作曲の嗚呼玉杯の歌は永く愛唱せられ開校以来の端艇部歌に代りて校歌とし稱すべきものとなり遂に廣く一般に流傳して青春の徒を感奮興起せしめたり(中略)今年二月同窓有志嗚呼玉杯會を結成し歌碑を駒場の校址に建て後世に傳へんことを謀り十一月その工を竣ふ」とある。



平成21年に建てられた、代表寮歌「新墾の此の丘の上」(昭和12年制作)の記念歌碑。背面の由来文に「『新墾』は昭和10年東京帝国大学農学部との敷地交換により本郷からこの駒場の地に移転して直後の寮歌であり『駒場の玉杯』とも言われ多くの寮生・卒業生に愛唱された」とある。

一高記念碑


「一高ここにありき」と刻まれた記念碑。背面の由来文に「平成十六年開学百三十周年に当り かつ一高同窓会が本格的活動を終えんとするに際し ここに貞石を留め 以て記念とする 縁あってこの地に学ぶ若人 縁あってこの碑を読む旅人 願わくはこの碑に込められた向陵精神を汲み 真摯な歩みに恵まれんことを」とある。

外国人教師記念像


明治35年に彫像された、Arrivet先生(左)とPutzier先生(右)の記念胸像。Arrivet先生は明治10年に来日し、以後25年間に亘って一高でフランス語・ラテン語・哲学・世界史を教授した。Putzier先生は明治17年に来日し、明治34年に東京で没するまで16年以上に亘りドイツ語・ラテン語・世界史の教壇に立った。



開学130周年を記念して平成16年に建てられた、Strange先生の記念レリーフ。由来文に「1875(明治8)年来日し 東京英語学校 東京大学予備門 第一高等中学校の各教諭として英語を教える傍ら ボート フットボール ベースボール 各種陸上競技など欧米のあらゆる近代スポーツの紹介と奨励に努めた」とある。

弥生道


かつては一高生がその下を闊歩した、本館裏に延々と続く銀杏並木の道。昭和10年に森巻吉第13代校長により「弥生道」と命名された。

旧寮遺構


由来板に「このコミュニケーションプラザの敷地にはかつて旧制第一高等学校寄宿寮が存在した。(中略)この中庭にあるアーチは、地下道入口上屋の外壁の一部である」と記されている。昭和10年に建てられた一高寄宿舎は近年まで東大駒場寮として使用され、廃寮を巡って大学と在寮生が対立して騒動になった。

向陵塚


昭和52年に神奈川県鎌倉市の東慶寺に建てられた向陵塚。由来板に「我等がここに向陵塚を建立したのはその昔向陵の地に寢食を共にして学を修め友情を温めた第一高等学校同窓生の魂の落着き所として永く後世に殘そうとするものであります」と記されている。

おまけ


駒場農學碑。一高と敷地交換するまで当地に在った東京帝大農学部及びその前身の駒場農学校を記念して昭和11年に建てられた。



最寄駅の京王井の頭線駒場東大前駅。井の頭線は昭和8年に開業し、当初の東駒場駅は昭和10年に一高前駅に改称、更に学制改革後の昭和24年に東大前駅に改称された。この東大前駅は現在よりも渋谷寄りにあったが、昭和40年に西隣の駒場駅と統合され、両駅の中間の現在地に駒場東大前駅が新設された。



旧制第一高等学校向ヶ丘校舎


旧制一高
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