旧制第二高等学校片平丁校舎


現況


現在の東北大学片平キャンパス正門。明治20年に仙台に第二高等中学校が設置され、明治27年の高等学校令公布に伴い第二高等学校と改称された。大正14年に敷地と建物を東北帝大に譲って北六番丁に移転するまでを「片平丁時代」と呼ぶ。この正門は大正15年に東北帝大正門として二高正門よりもやや北寄りに新設された。



現在の片平キャンパス案内図。

片平記念苑


当時の位置に復元されている旧二高正門。広瀬川の対岸に位置する伊達政宗公霊廟・瑞鳳殿に正対して建てられたといわれる。当時から門扉は無く、鉄鎖のみを渡した簡素なものだったらしい。令和3年に文化庁の有形文化財建造物として登録された。



創立時に製作された姿のまま現在に至る正門柱。二高の移転に伴って正門柱も大正14年に北六番丁へ、昭和20年に三神峯へ移設され、閉校後は仙台市立博物館に保存された。昭和43年に現在地に再移設され、平成8年に創立110周年を記念して旧観に復元整備された。

校歌碑


昭和43年に建てられた、校歌「天は東北」(明治38年制作)の記念歌碑。背面の由来文に「二高六十三年に及ぶ歴史は、近代日本の激動と共にあったがその間に學んだ者は、總数一万二千五百餘名。蜂章のもと、雄大剛健の風を尊び、學業と修養とに勵んだ青春の思出は、各自の心底に深く刻まれて消えることはない」とある。

蜂章記念碑
 

創立110周年を記念して平成8年に建てられた蜂章記念碑。同窓会である二高尚志会会歌(明治36年制作)の一節が刻まれている。蜂章は「勤勉」を意味し、校章にも図案化され二高のシンボルとなった。校旗の蜂章旗は二高の魂として火災の際には最優先で持ち出すべき物とされたという。

由来碑


平成8年に設置された陶製の二高由来碑。「明治二十二年 片平丁のこの地に第二高等学校の木造校舎が完成 校地取得並びに校舎建設費は 仙台市民を中心とする宮城県民よりの浄財の醵金に依った 煉瓦造四基の角柱は 創立以来の本校正門で 鉄鎖をもって閉ざすも 生徒敢えてこれを跨ぐものなし」とある。左下に描かれているのは明治25年頃の配置図。

旧物理学教室


明治23年に建てられた旧二高物理学教室。三角屋根が特徴的で、現存する東北大最古の建物といわれる。現在は東北大職員集会所として使用されている。

旧書庫
 

明治43年に建てられた旧二高書庫。由来標に「第二高等学校図書館書庫として建設されたが、第二高等学校の北六番丁移転により、東北帝国大学に移管された」とある。



平成29年に文化庁の有形文化財建造物として登録された。

旧校庭


旧校庭の在った位置は整備され、現在は緑豊かな学都記念公園となっている。



創立100周年を記念して昭和61年に建てられた、高ゲタ黒マントの二高生尚志像。台座に刻まれた「尚志」は孟子・盡心章句上の「曰何謂尚志。曰仁義而已矣」に由来する二高のモットー。



記念苑の一角にある由来板に「桜小路の南西にひろがる広場は旧制第二高等学校(第二高等中学校)の校庭で、当時はもっと広かった」と記されている。

おまけ


昭和54年に東北大医学部により建てられた仙臺医学専門学校跡碑。明治20年に第二高等中学校医学部が設置され、明治34年に分離独立して仙台医専となった。明治37年より魯迅が留学した事で知られている。仙台医専は後に東北帝大医学部となる。



昭和60年に仙台市により建てられた「弾正横丁」の辻標。由来文に「米ヶ袋鍛冶屋前丁から北目町に至る東西の道にこの名が付いた。明治初年に陸軍省用地となって廃道。のちに旧制二高(現東北大学)の敷地となり、現在の金研の地にあった監獄署との間に新道ができた」とある。



大正15年に建てられた旧東北帝大附属図書館本館。昭和61年より東北大史料館として一般公開されており、実物の蜂章レリーフや「雄大剛健」の扁額等が展示されている。



旧制第二高等学校北六番丁校舎

旧制第二高等学校三神峯校舎


旧制二高
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